言葉と感性
今から20年程、前でしょうか。
ラジオ番組で、おそらくFM東京あたりかと思いますが、当時よくロック関連の新譜を流すコーナーで、渋谷陽一というデイスクジョッキー兼音楽評論家がおりました。
ある日、彼の担当コーナーに、小説家の黒井千次氏が招かれて、ロックに関しての対談を放送した記憶がございます。
何気なく、二人の話を聴いておりましたが、DJと小説家の言葉の選択、言葉の概念が全く相違していることが分かりました。
当時、機関銃のようにしゃべりまくる、渋谷陽一の言葉のなんと表層的で、内容がないかという点を痛烈に理解させられたといっても、過言はないでしょう。
ロックとは、無縁かと思われた、黒井千次氏の言葉が非常に重くて、かつ繊細でした。
おそらく、あの時、渋谷陽一は、自分の限界を感じたのではないかと思いました。
黒井千次氏、1932年生まれ、同じ世代に、石原慎太郎、五木寛之氏などがおりますが、戦後、新世代とも言われておりました。
渋谷陽一氏、1951年生まれ、戦後の新感覚世代の走りでしょうか。
この二人の言葉に対する姿勢の相違は、どこから来るものなのでしょうか。
携帯とかネットとかでは、培えない、その人のみが感じる世界が、本当は身近にあるのでは、と教えらる気がした、20年前の対談でした。
では、本日はこれまで。